虐待・クラスで孤立・職場いじめ…ネット友達に相談したら少し救われた。

虐待・クラスで孤立・職場いじめ…ネット友達に相談したら少し救われた。

ENEN

33歳男性のENENと申します。
筆者の体験談として虐待を受けた6歳の頃から、クラスで孤立した10代後半、職場いじめを受けた20代後半までの話を綴ります。
その時々でネット友達は変わりましたが、いただけた言葉には全て意味を感じることができ、お陰で今もこうやって前を向いて生きていけます。
興味のある方は、ぜひ最後までお付き合い下さい。

虐待・クラスで孤立・職場いじめ…ネット友達に全てを相談したら少し救われた。

突然ですが読者のみなさまへ。
人生の中で一度でも「死にたい」と考えたり口にしたことはありますか。

私は学生時代にこの言葉を生んでくれた実の母親に向けて言い放ったことがあります。
おそらくこれが覚えている限りでは人生で一番の親不孝です。

こんな時から今に至るまで、ネット友達にはかなりお世話になっており、今は何とか前を向いて生きていけるようになりました。
本稿はそんな筆者の体験談です。

父の暴力。まだ「死にたい」とは考えなかった。

私は6歳の頃、実の父親から虐待を受けました。

たった一度の暴力だったのですがその分印象が強く、今でも実家の現場を見る度にその時のことを昨日のことのように思い出すのです。
当時は父親もかなり気性が荒く、短気な性格も手伝ってかイライラしていたそうです。

服を掴まれて押し入れのドアに向けて叩きつけられました。
着ていた服も破れてしまい、そばに居た母と姉は怯えていたそうで助けに来てはくれませんでした。

その時子供ながらに私は
「暴力が一番強くて、大人を怒らせるとこうなってしまうんだ。
ということを考え、以降少しずつ他人に意見をぶつけることができなくなっていくのです。

ただ、その時は能天気な子供だったのか、人生全てに絶望して「死にたい」などとは一切考えなかったと思います。

わかってくれる人がいた。ネット友達の「一言」。

自慢ではないのですが、私には夢中になれる趣味が多く、その中には一風変わったものもいくつかあります。
それが原因なのか高校生になってからはクラスで孤立する時間が増えました。
いつの間にか屈辱的なあだ名がつき、後ろ指を刺されて笑われていました。

当初はガラケーで「メル友」という言葉が流行り出した時代でした。
顔も声も分からないそのネット友達に「自殺を考えている」ことを深く考えずに相談しました。

どんな答えが返ってくるのだろうと思っていたら、
「家では安心できるの?」
という一言だけが返って来て、まるで昔の自分が受けた虐待のことを見透かしているかのような言葉だったのです。

たしかに、家でも安心できる心境では無かったのです。
それだけでも
「わかってくれる人がいるんだ」
と安心でき、本当に自殺するよりはさっさと卒業してしまえば良いと考えることができたのです。

職場いじめ始まる。ネット友達再び。

虐待やクラスでの孤立。
色々ありましたが、そんななか親のすねをかじって入った大学では意外にも伸び伸びとやれ、好きなことに好きなだけ打ち込む日々を過ごせました。

高校時代に毎日感じていた「死にたい」という感情は一体何だったんだろうと思いました。
その時には相談していたネット友達のことは忘れており、自由を感じていました。
しかし卒業後、地元に就職した私には再び試練が待ち受けていたのです。

その職場はパート5名、自分を含めた正社員2名で構成されており、肉体労働と事務にほとんど労力を費やしていました。

上司は別館の職員室で居眠りをするような人で、必要なことだけを

「自分にかかりかねない負担なら、こいつには教えておこう

と見て取れるようなスタンスで教えてくるだけで、尊敬できたり

「この人の部下としてがんばりたい」
と思えるような人ではなかったのです。

ある日重労働で私は身体を壊しました。
肩が上がらなくなり、病院で診断書をもらいました。
労災を請求する為でした。

その上司は、目も合わさずその診断書を私に突き返し
『要らん』
と言い捨てたのです。

この時、私について変な噂話が広まったのかとても働きづらい雰囲気になっており、それが「私のせい」ということになっており「職場いじめ」に発展したのです。

その時にまた
「ネット友達に相談してみよう」
と決め、しばらくはそうして辛い毎日を凌いでしました。

子供のままで良い。救われた。

その上司はあざとく、自分に責任が合っても他人に平気でそれを押し付けたり、もっと酷いとその行為を被害者のような立場になって正当化することで有名でした。
私はこの事に気づいたとき、大人の世界で仕事をするのが凄く怖くなり、思い出す必要が無いのに虐待を受けたときのことまで思い出し、いよいよ「もう死にたい」とまで、再び考えるようになってしまったのです。

「『何か、大人って子供以下じゃん』って思う時ないですか?」

これはネット友達が私に送ってくれた一番印象が強い言葉でした。
最初は意味が良く分からなかったのです。

確かに大人は知恵をつけた分、子供よりは利口です。
ところが何かを決めたりする場に限っては、子供の方が上手なのです。
そういう意味では子供はクラスの学級会議で素直に自分の意見を発表します。

「そうか…じゃあ、子供のままで良いや
と、何故か救われた気持ちになったのです。

ネット友達のお陰で「安心感」

今筆者は、海外で日本語事業に関わる教育者として前向きに生きています。
色々ありましたが、家庭だけでは解決できない私の苦悩は「ネット友達の言葉」で救われたことが多少以上あったのです。

私の心情や生い立ちを見透かしたようなメールや、さりげない一言だけでも、考え方に大きく影響しました。
そのお陰か、生きていくうえでも安心感をもつことができるのです。

「自殺」は何度も考えました。
それでも実行できないのは「まだここにいたい」と思えている証拠で、ネット友達たちはそれを解ってくれていたのかもしれません。