最後まで会えなかった後悔がいまだに残るネット友達として最高の人

チョオバ

60代既婚女性のチョオバと言います。
この記事では、Facebookを通じて知り合った同じ年のチェンマイで暮らす日本人男性との思い出を書きます。
逢おう、逢おうと約束していたのに、とうとう最後まで逢うことが叶わなかった後悔のお話しです。
宜しければ最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

初めてのネット友達

私がFacebookを利用して、初めて友達申請をしてくれたのが千葉県出身で同い年のノボチャンでした。

仕事でタイを頻繁に訪れていた50代初めでしたので、その記事を読んでチェンマイで住んでいたノボチャンが友達第一号となってくれました。

それからは頻繁にネットでのやり取りをしてお互いの家族のこと、仕事のこと、悩み事まで相談するように親しくなっていきました。

いつもタイヘ来たらチェンマイにおいでよと言ってくれて、今度こそ、今度こそと思いながらなかなか日程が取れずに合うことが先延ばしになっていました。

初めて生の声を聞いた日

そうこうしているうちに、短期間で又タイヘ行くことがありそのことを伝えると、電話してきなよと言ってくれました。

ホテルに着く車の中で、先に電話をくれたのはノボチャンでした。

初めて生の声を聞き、ネットの文章通りの暖かさがにじみ出る声であれやこれやとホテルに着くまでずっと話しっぱなしで、今回はチェンマイまで行けないので、次は必ず日程をとって連絡すると約束して電話を切りました。

ネット友達としての付き合いなのに、こんなに親しく話すことができるなんてとお互いに驚いたのを今でも鮮明に覚えています。

病気を初めて打ち明けられた

お互いの還暦のお祝いを済ませた頃、ノボチャンが病気をかかえてチェンマイでやっていたお店を閉店することを打ち明けられました。

タイへ行ってから初めてできたお子さんは、まだ小学生で写真でしか見たことがありませんでしたが、本当に仲の良い親子で、奥さんも素敵なタイの人で家庭も仕事も上手くいっていて、幸せなんだと喜んでいたので本当に驚きました。

病院へ検査に行き、病気が見つかり少し休養して体を回復させるので「店を閉めてのんびりするわ」と明るい文章ながら、チョオバも頑張りすぎだから、体を休ませなよと何度も云われました。

途切れてしまった連絡

その後も奥さんの実家であるチェンマイの奥にある村で休養している写真や、息子さんの学校のことなどやり取りが続いていました。

今度こそ春になったら、チェンマイに行く予定だから待っていてね、旦那も一緒に行くから楽しみにしていてねと連絡すると、やっと逢えるね、チェンマイを一杯案内してあげるから、楽しみにしてるよという言葉が最後で、急に連絡が取れなくなりました。

イヤな予感がして、チェンマイの方で発信していたノボチャンのチェンマイ通信を頼って、関係者の人になんとか連絡をつけてみたら、ノボチャンは亡くなってしまったと云われました。

癌でふっくらとした体が最後には、痩せてしまって、みる影もなかったと教えられました。

ノボチャンに会いたかった

亡くなったことが信じられずに、ノボチャンが最後にくれたメールを見ては泣く日々が続きました。

やっと逢えると思っていたのに、やっとチェンマイに行く日程を決めていたのに。

何故もっと早くノボチャンに会いにいかなかったのかと後悔してもしきれませんでした。
ノボチャンが大好きだったチャンビアとシンハビールを今でも飲むたびに涙がこぼれます。

最後のメールには、病気に負けずに気合いで頑張るという文字、私に対して絶対に無理はするなという文字、そして、そしてやっと逢えるねという最後の言葉。。。。
いまだに消せずにパソコンの中に記憶させています。

私が本当に辛かった時には、長文の激励をくれたノボチャン、誰よりも私を知ってくれていたノボチャン。
ネット友達がこんなに親身になってくれたのは、ノボチャンだからこそでした。

ノボチャンの命日が近づくたびに、最後まで逢うことが叶わなかった辛い後悔が襲ってくるけど、前をむきなよと口癖のようにくり返してくれた言葉に恥じないように、ノボチャンの分までしっかりと生きていこうと思っています。