いつもみんなあそこにいた。思春期のもなちゃと
初めてネット友達ができたのは、学生の時でした。
2ちゃんねるのアスキーアートキャラクターがリアルタイムでチャットができる「もなちゃと」の「入り口」ルームにて、初めてネット友達ができました。
みんなどこに住んでいたのかは少し思い出せないのだけど、日本列島のどこかに住んでいました。
そして、毎晩、夜の8時に彼ら「ネット友達」はそこにいました。
同じくらいの年齢の10代から20代の集まりで、そこで今日あった出来事、友達との悩み、好きな子のことまで、何もかもを「文字の世界」で話をしました。
その中で初めてできたネット友達の話です。
彼女は海沿いの街に住む女の子でした。
初めて関西の方言をたくさん教えてくれた海沿いの街のあの子
初めてできたネット友達は、関西圏に住む海沿いの街に住む女の子でした。
さて、僕は関東の盆地生まれで、山の人間です。
言葉には標準語に少し訛りがある程度、あるいは語尾が標準語とちょっと違う程度でした。
関西特有の「なおす」が「片付ける」ということなんて、ほとんど知りません。
彼女の話の中で、部屋の片付けでお母さんに怒られた話を聞き
「あたし、なおしたんだけどな?」
と言われても、実際何をいっているのかよくわからないはずでした。
しかし、なぜか、どこか伝わってくる不思議さがあります。
そして、初めてインターネットを通して彼女と出会うことで、さまざまな方言の中身を知ることができ、海沿いの街に住む彼女の生活から情景まで教えてもらえました。
盆地生まれの僕にとって、海沿いの街の生活は想像できないはずのものでした。
しかし、何か懐かしいような不思議とイメージができる、そんな感じがしました。
そして、そんな彼女に伝えた星の綺麗さに彼女は喜んでくれていたことをよく覚えています。
住んでいるところも考えているところも全く違うはずなのに、どこか昔からよく知っているような感じがしました。
毎晩8時にもなちゃとに通いました。
彼女と話し合ったことは、学校のこと、勉強のこと、友達のことに、生活のことまで、さまざまなことの話をしました。
気がつくと彼女はいなかった
ある日を境にチャットから彼女がいなくなっていました。
今年になって進学するという話は聞いていたのだけど、なんの音沙汰なく彼女は夜の8時のもなちゃとからいなくなっていたのです。
当時の僕は連絡先を聞くことなんて考えもつきませんでした。
それはいつもあの日・あの時間にもなちゃとに行けば彼女がいるものだと思っていたからです。
僕も大人になったそこで僕もチャットに通わなくなりました。
彼女のいないチャットがどうしてもつまらなくなったからです。
さらに、僕も大人になったからだと思います。
インターネットで繋がるあの心地よい距離感
今思い返せば、その当時の思春期の悶々とした、「自分の中でもどうなっているのかわからず、誰にもいうことができないような」感じ、さらにその「自分の中の誰かに言ってしまったら壊れてしまうような」心の中の柔らかい部分をチャットで話込んでいた覚えがあります。
そんな、自分の心地よい感じのあるような、痛みを免れるプラトニック(純粋さのみを求める)な時間が当時の僕の中で流れていたんだと思っています。
あれから10年。あなたの距離感も
さて、現在インターネット利用者が増え、ソーシャルネットワークが普及し、インターネット上でたくさんの人たちがコミュニケーションをとることができる時代に変化して行きました。
ソーシャルネットワークから掲示板・書き込みが増え、心の中の声が一緒くたになりインナーネット上に掲載され、「本音と建て前が一緒になっている。」投稿が増え、知らない人からも検索される時代にもなりつつあり、インターネット総人口が増えた時代でもあります。
霞が関で話し合ったことから、お台場で撮られたフィルムが一つのメディアとなって評価され始め、小さな悩みから大きな情勢まで、たくさんの人たちがインターネットに啓蒙するように書き込み、活動する時代になりました。
そして、生活の様式も変化し、「家に帰って」あるいは「接続して」の「コンピュータからの投稿」よりも、持ち運べる「スマートフォンからの投稿」へと、接続が容易になった時代として、日常生活にも変化が現れるようになりました。
大人になるといいたくなる、ネット友達のこと
僕もネット友達ができたと感じる人間です。
ネットの友達もいいかもしれません。
しかし程よい距離感のある休息に感じられるような環境が望ましいと思っています。
誰にでも程よい距離感とマナーが充実していて、ディズプレイの向こうでWIN-WINな関係が築けたらと思うところであり、誰かがそんな柔らかな部分に触れられることがでいるような豊かになればいいなと思うところであります。
そんなネット友達の話でした。