メッセージのやり取りしかしていないネット友達ですが、私は変われた

匿名希望

こんにちは、酪農を営む30代既婚男性です。
酪農はヤリガイのある仕事です。
しかし、そう思えるようになったのはネット友達のお陰なんです。
現在の環境に苦しんでいる方、環境を変えるのは大変ですが、考え方を変えるだけで生き方を変えることは可能です。

流されるままに生きていた

私が生まれ育った町には高校がないため、中学を卒業した者の多くは町を出る。
そして、下宿しながら高校へ通います。
私は高校へ行きたくて故郷を出たわけではない、生まれてから一度も故郷に魅力を感じたことがなく、残りたくなかっただけのこと。

故郷を離れる日の母親は「いつでも帰っておいで」と言ってくれたが、父親は口を閉ざしたままだった。

高校生になっても何がしたいわけではない、何かになりたいわけでもない、特別なことをしなくても他の者と同調して生きていたら、高校生活はあっという間に2年が過ぎてしまった。

高校3年生では進路を決めなくてはいけなくて、長男である私はいずれ家を継ぐことになる。
しかし、高校を出てすぐには継ぎたくないので、故郷には帰らず工場に就職をしました。

高卒の私には高卒の彼女が出来た。
その彼女は結婚を望んでいたが、若かった私はまだ遊びたかったので彼女とは別れました。
工場勤務でもコンパの誘いはあって、別れても彼女はすぐに出来たがどれも長続きはしません。

盆暮れには帰省した。
その際に決まって言われたのが、「どうするの?」

何がどうするかは聞かなくても分かっている、私が家を継ぐかどうかだ。
私には男兄弟がいないため私が継ぐしかないのですが、20代のうちは故郷に戻る気にはなれませんでした

長年逃げて来たことに直面

故郷に帰ってしまえば遊べないので、そのため20代のうちは遊ぶつもりでしたが、高卒の需要は大卒の需要よりスパンが短く、20代後半になるとコンパなどの誘いは全く無くなりました。

同年代の同僚は結婚をして家庭を持っており、独身の私とは遊ばなくなりました。
そろそろ潮時と思い、私は18歳から働いた工場を辞めて故郷に戻りました。
盆暮れには帰省していても、仕事を辞めて帰ると母親は「お帰り」と喜んでくれたが、父親は相変わらず口を閉ざしたままだった。

実家は酪農を営んでおり、私は家業を手伝いました。
手伝うのと生業(なりわい)とするのでは責任が違います。
そのことは百も承知でしたが、好き勝手に生きて来た私にとって、家業を継ぐのは荷が重過ぎました。

エサをあげないといけない、糞などの処理もしなくてはならない、自分が病気でも休むことは出来ない、酪農を辞めたら多額の負債が残り町から出て行かなくてはならない。
そのプレッシャーが耐えられなくなり、思考はネガティブになり生きているのが辛かった

年下の女性から届いたメッセージ

家業を継いだ若者たちは各々酪農についてネットでPRすると、私にメッセージをくれたのが高校を出たばかりのA子でした。

当時30歳だった私にとって、高校を出たばかりの彼女は年齢が一回り離れており、しかも彼女は私の妹より年下で、どうして私にメッセージをくれたのか分かりませんでした。

高校を出た彼女はOLとして働いている一人暮らしで、境遇は妹と同じ。

私の妹は一人暮らしを楽しんでいるように見えるため、A子にも
一人暮らしは楽しい?
と聞いてみると、彼女の答えはこうでした。

彼女「全然
私「どうして?」
彼女「一人は寂しいから」

私「だったら、実家に帰れば良いじゃない」
彼女「女は家を出ないといけないの」

私「故郷は何処なの?」
彼女「〇〇町」
彼女の故郷である〇〇町は酪農が盛んな町

私「兄弟はいるの?」
彼女「兄がいる」
私「お兄さんが家を継いでいるの?」

彼女の返事は、
うん

まさか妹も?

私には妹がいます。
妹とは家業のことで話したことは一度もない
話したことがないのは家業は私が継ぐもので、継がない妹のことをどこか妬んでいたから。

しかしA子に出会ったことで、故郷を離れたくない、家業を継ぎたいと思っている女性がいることも分かり、それからは酪農に就いた自分の人生に誇りを持てるようになりました。

私「父さん、これからは酪農を頑張るよ」
父親「・・・」

父親は相変わらず口を閉ざしたままですが、常に私の背中を押してくれています。
ネット友達であるA子との出会いで、妹にも優しくなれました。